よしなしごと

気持ちの言語化ってだいじだよね

いっけな~い、遅刻遅刻!!

今週のお題「最近見た夢」

 

朝7時。スマホを見て青ざめる。寝坊した。今日は少し早めに出勤しなきゃ行けない日だった。

家族よ、なぜ起こしてくれなかったのだ。

なんで今日は目覚ましが鳴らなかったんだ?あ、スヌーズ繰り返して止まったのか。

 

反省してる暇は無い。とにかく布団から飛び出る。朝ごはん……時間はないけど、毎日朝食を欠かさない私は何かお腹に入れておかないと。着替えながらポットにお湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れた。いつもより砂糖と牛乳を多めに入れて少しでもお腹を膨らませようという作戦だ。

お弁当なんて作ってる場合じゃないし、途中でコンビニに寄る時間も惜しい。カップ麺を1つ鞄に放り込んだ。

メイクは元々時間をかける人間じゃないのでササッと済ませ、ドライヤーもそこそこに髪をゴムでざっとまとめ家を出る。

 

なんとかいつもの時間プラスちょっとで車のエンジンをかけることができた。あとは渋滞なくたどり着けますように。

会社に着いたのはいつもの時間から2,3分遅れだっただろうか。それでも始業には少し余裕あるタイミングになんとか着いていつも通り挨拶を交わす。

 

「なんだか今日は朝から疲れたな」ホッとしたが今日はまだ始まったばかり。これからが一日のスタートだ。

 

 

………………と、いうところでけたたましいアラームの音で叩き起された。時刻は6時半。余裕ある出勤準備にはそろそろ起きないと間に合わない。本日2回目の朝。

 

寝坊する夢って2倍疲れません?

 

チョコミントよりも・・・?

今週のお題「スースーするもの」

 

「チョコミントよりもあ・な・た♪」なんてフリフリの可愛らしい衣装を着た女の子が画面の向こうから笑顔を振りまいている。

 

作詞に自らの魂を込めるシンガーソングライターとは違って、アイドルが歌う世界は一般論だ。この歌詞に出てくる「一般的な女の子」は「あなたには勝てないけどチョコミントが大好き」なのだ。

 

 

私はチョコミントが嫌いである。抹茶も苦手。マンゴーも得意でない。というか果物全般にほぼ興味がない。食わず嫌いのあまのじゃくというのもあまりよくないかと思ってそれぞれ試してみてはみたが、チョコミントアイスだったらチョコアイスかミントガムがいいし、緑茶は好んで飲むが抹茶味のケーキは避けて通りたい。果汁たっぷりと書いたチューハイは好きだが、フルーツ狩りは全然テンションが上がらない。

「女の子」というくくりに入れてもらえる年齢でないのは分かってるけど私にもあったはずの「女の子」の時代にもそうだったのだからそういう嗜好なのだと思う。

 

じゃぁ、私の好きなものはなんだろうと思い返してみた時、ラーメンだったり、コーヒーだったり、生肉(馬刺しやレバ刺し)だったり、ガツンとにんにく系だったりと「男性」寄りなのではないかというところに行きついた。

 

そもそも嗜好の性差ってなんなんだ。そんなものあるのか。データを取ったりしたらちゃんと出るものなのかな。メディアで男性向けがっつりメニューとか、女性向けオシャレスイーツとかの特集が組まれる一方、男子のスイーツ巡りや、女子の一人はしご酒がコンテンツとしてYouTubeに乱立してるのを眺めながら思う。

 

春になり今年もいろとりどりのランドセルの新1年生が歩いている。

彼らが大人になる頃には何が流行っているんだろ。

常備しているミントガム、新しいのをそろそろ買わなきゃ。

 

 

大都会 トウキョウ

お題「~一番思い出に残った幸せな家族との思いで~どんな小さなことでもOKです。」

 

布団に入ったあともなかなか寝付けない夜は、トラックの運転手が配信するドライブ動画を見ている。運転手が喋るものよりも控えめなBGMとともに景色が楽しめる方が好きだ。首都高や伊勢湾岸道はキラキラしていて、田舎住みから見たら別世界のよう。流れゆく照明と車のテールランプの列を眺めるうちにウトウトしはじめ、やがて眠りに落ちる。

 

実家は東北にあるが、両親とも近畿地方の生まれで、子供の頃毎年お盆と年末年始に車で祖父母の家へ帰省していた。5人家族ともなると公共交通機関の料金も荷物の量も馬鹿にならないし、三人兄弟でいつもやかましかったので、父の運転するワンボックスで東北道、首都高、東名と乗り継いで片道1000kmの大移動をしていた。

出発直前までの慌ただしさで疲れた母はすぐに後部座席で寝てしまうので、助手席はいつも私だった。父は雑学に強い人で、周りを走る車を見てはその車種と機構、ナンバープレートやインターチェンジの案内板を見ては地名の読み方を、流れる景色の中のネオン看板を見てはそれがどんな企業であるかを教えてくれた。年に2回とはいえ、小中学生のあたりのほぼ10年となると20回近くは往復してることとなり、さすがに地名や景色は頭に残っている。

 

昨日見た配信動画は首都高3号渋谷線三軒茶屋付近を走っていた。30年以上前までに20回は通った道。周りの建物や看板は当然昔と変わってるだろうけど、それでもなんだか懐かしく思えた。

やがて、首都高から東名へと切り替わり、一気に視界が開けたと思ったらいくつものゲートが並ぶ料金所だ。

 

40年近く前、もちろんETCなんてものはなくて、料金所では一旦停止、係員から通行券を受け取り、出口では現金で支払う。東京料金所で窓を開けると、田舎者の家族だけの車内の空気に深夜の都会の生ぬるくて湿った空気が入ってきて混じり合って妙にそわそわした。それまで首都高を走ってきて、窓の外に東京タワーやサンシャインビルや東京ドームを眺めて子供たちは大興奮なのだが、あらためて自分の生きているところとは別世界に来たのだと思い知る。

 

動画を見ているうちにそんな生ぬるい湿度も蘇り、変わったもの、変わらないものに思いを馳せた。

あの頃東北道は浦和までしかなく、父は浦和から一般道を走り決まって立ち寄るガソリンスタンドで給油して板橋あたりから首都高に乗っていた記憶がある。もちろんカーナビも無い時代、一度も関東には住んだこともない、そんな父が「この国道は〇〇まで繋がってるんだ」なんて私に解説をしながらスルスルと街を抜けていく。「インター通り過ぎて箱根の山を越えたことがある」「気づいたら千葉に向かってた」こともあったらしい。

 

助手席に座る役立たずなナビゲーターの私にあれこれ教えてくれた父も80歳を超えた。父母とも段々と身体の自由が利かなくなり、祖父母も亡くなっているので帰省することもなくなった。たった20往復の東京料金所の空気や景色を私が忘れられないのだから、父母が自分が生まれ育った土地の空気や景色に二度と触れられない寂しさと悔しさは想像するに難くない。来年は祖父母の法事の年なので、なんとか2人を車で連れていきたい。昔の話をしながら懐かしい道を通り、そして、会える人全員に会って、会えなくなった人のお墓参りをして、子供の頃の思い出の場所へ行けるだけ行きたい。願わくば、父母がそれまで元気でいられますように。

 

ただね、ETCあっても、カーナビあっても、首都高走りきる勇気がないのよ笑 日本海側廻るか……あと、東京料金所って神奈川にあるのね

 

セカンドライフ

今週のお題「準備していること」

 

北国もようやく春を迎えようとしている。

道路わきに積み上げられていた雪の山は徐々にその背を縮め、冬の初めに買った防水のブーツもお役御免。

 

先週には下の子が高校卒業を迎え、仕事はこれまでの契約社員から正社員へと立場を変え定年までの首が繋がった。

この春、いよいよセカンドライフの幕開けだ。

 

まず、一人旅に出ようと計画を立てている。

子どもやダンナが「いいなぁ。一緒に連れてって」と言うが、丁重にお断りした。昨年秋に「母親卒業宣言」をしたはずだ(母親卒業旅行。 - よしなしごと )。私に頼らないで自分で手配していただきたい。

 

とはいえ、給料は微増にとどまり、やはり家計は安泰とはいえないのでできるだけ費用を抑えようと自分で軽自動車を運転し高速も使わず行けるところまで行こう、という旅にすることにした。日々の買い物やポイ活で貯めたポイントを最安値のビジネスホテルに突っ込む。有給消化も兼ねて祝前日を避けたことで繁華街に近い大浴場付きのビジネスホテルを素泊まり4000円で押さえることができた。

 

宿泊先が決まったら今度は夕食場所のチェック。

一人旅の目的として、一人飲みをしてみたいというのがあった。子持ちのパート主婦にはどうにもハードルが高かった。家族で酒を飲むのが自分だけという環境では、普段の外食や家族旅行ですら居酒屋が選択肢に上がることはなかなかない。自分の好きなものを好きなだけ頼む。酔っぱらってホテルに帰ってそのままベッドにダイブしても誰にも文句を言われない。長年の夢だった。

地元の日本酒を飲み放題で飲める店、店主こだわりの串揚げをタイミングよく出してくれる店、「おひとり様歓迎!」と書かれた店。グルメサイトを見るとそこには私の夢が詰まっていて、時間を忘れて見入ってはそこにいる自分を想像してニヤニヤし、店舗のサイトをブックマークする。たぶん1店舗、行けて2店舗なのに4つも5つも候補ができた。

 

普段の買い物の時に目についたデニムパンツを買った。ちょっと薄手だが桜も散り始める気候の頃は気持ちがいいだろう。柔らかくて、ウエストはゴムで(これ重要)、長時間の車の運転や食べ歩きにぴったりだ。上は手持ちのトップスで我慢することにした。

 

 

これから仕事は年度末の繁忙期に入るが、そこを乗り越えれば一人旅が待っていると思うとちょっと気持ちが軽くなった。

 

毎年1年に1回はどこかへ一人旅へ行こうか。

列車に揺られて駅弁を食べながら車窓からの景色を眺めるだけの旅、

地元のスーパーのお惣菜を買い込んで見知らぬローカルフードに出会う旅、

謎のちっちゃな記念館や資料館を巡る旅、

朝も昼も夜もラーメンな旅。

 

1人じゃなきゃできないことがたくさんありそうだ。

今年の旅が終わったら来年の準備を始めよう。

 

 

 

 

バイリンガル

お題「地元では当たり前のものなのに、実は全国区ではなかったものってありますか?」

 

小学2年生の頃、国語の音読が嫌いだった。

 

本を読むことは嫌いじゃないし、漢字も得意で突っかからずに読み上げることはできる。人前で大きな声で話すことも苦手ではない。算数も得意だったしクラスでは一応「頭がいい」グループに入っていた。

ただ、私が音読すると時折クラスメイトからクスクスと笑い声が漏れるのだ。

自信なさげにボソボソと読んで笑われるならともかく、スラスラ読んでいるのに笑われる。教師も私の声を遮った。指摘はアクセント。友達によると私は「訛っている」のだという。

 

前日の宿題の音読練習で指摘してくれなかった母に恨みの報告をした。なぜ直してくれなかったのか。おかげで恥をかいたじゃないか。それでも母はアクセントは間違っていないと言う。

 

私が現在住んでいるのは東北で、私が幼少期から結婚前まで住んでいた実家は車で5分のところにある。

「出身地」と言われれば今住む場所になるのだと思うが、私の両親は近畿地方の生まれ。父の転勤でこの地へやってきてそのまま住みついて40年以上経つ。父はいまだに関西弁が抜けず、母も酔っぱらうとふにゃふにゃと地元の言葉を話し出す。

「子供が将来英語堪能になるために、我が家では英語しか使いません」なんていうマダムの教育方針があるが、逆もまたしかりで、幼い頃から関西アクセントの手本を聞いて言葉を覚えたので私もそうなってしまったのだろう。

 

さて、一応優等生の看板を背負っている自分が得意なはずの国語でクラスメイトに笑われるのはどうしても納得がいかない。悶々としているとテレビからNHKアナウンサーがニュースを伝える声が聞こえてきた。当時の国営放送の信頼度は高く、中でも夜のニュースはエース級のアナウンサーが担当していることを子供ながらに感じ取っていた私は毎日そのアナウンサーの読み上げるニュースを聞くことにした。小学生には難しい言葉の羅列の中、音読で出てきたワードが飛び込んできた。私のアクセントで合ってる!!

 

それからは自信をもって音読することにした。自分が100%合ってるかはわからない。でも、他人の指摘の方が100%合ってるかとも限らない。そんな不確かなものに振り回されて自分を閉じ込めるのは嫌だ。

 

ただ、同時に「郷に入っては郷に従え」という言葉も覚えた。

「訛っている」という指摘にすぐに応えてその場で直す。ただ心の奥では「訛ってるのはそっちだけどね!」なんて悪態をついたりする。

両親の帰省や冠婚葬祭で大阪に行った時は親戚に合わせて西のアクセントになる。新幹線や車での帰り道「東北」という文字が目に飛び込んでくるとスッとそれが抜ける。

 

あれから数十年。この地での友人や経験が増えて年齢を重ねるたびこちらの言葉も自分の言葉となりつつある。カ行に濁点がついたり、ペンが「書かさらな」くて困ったり、昨日作った煮物が「アメて」て辟易したりする。それでも誰かに話すわけではない独り言は関西弁でブツブツ言ってたりする。「ダイアリーにワードをライトする」ルー大柴みたいなことになってる。

 

もはや東北弁と関西弁のバイリンガル

困ったことに身内に関東出身がいないので、標準語だけはいつまでも話せない。

 

 

 

 

 

未来につながれ。

私はいわゆる就職氷河期世代である。この世代の生まれは10年近くあるのだが、その中でも求人倍率が底辺に近かった世代である。

 

教職に就きたかったのだが、学部の中の上位1割弱分しか採用枠がないと知り、4年生で就活だった時代、教員採用試験に全振りするギャンブルに興じる勇気はなく地元のスーパーに就職した。店舗で豆腐や食パンを並べる日々。出勤簿は手書きで退勤時間を書き込むのだがボールペンで書いたら「こちらで訂正できないから鉛筆で書け」と怒られた。

そんな中でも結婚することになり子供を授かった。当時冷蔵庫で特売の牛乳ケースを積み上げたり、アイスの品出しをしたりしていたので異動か有休消化を願い出たが却下され退職することになった。

 

そこから約30年。社内託児所ありの短時間パートから始まり、子供の成長に合わせて少しずつ勤務時間を延ばし、収入をアップさせるために転職を繰り返した。

 

今の職場にフルタイム契約社員として入社したのは4年前のことである。覚えることはたくさんあるし、肉体労働でもあるのではじめはなかなかにしんどかったのだが、ほかより幾分給料がよかったのでなんとかしがみついていこうと思った。

 

そして、今年2025年。10月に今までろくに顔を合わせたこともない人事課長に突然呼び出された。小さな会議室で課長は私に「正社員になってもらえないか」と言った。前年に20~30代の若い子たちが正社員登用されたのは知っていたが、定年まで残り10年ほどの私に?課長はさらに「誰かを正社員に、となったときあなたの名前が最初に出たんだよ」とも付け加えた。社会人となって一度も誰からも仕事で評価をされたことがないと思っていたので舞い上がって二つ返事で承諾してしまった。それを聞いた課長のほっとした顔と声が今も残っている。

 

後から調べてみれば、給料はボーナスが上乗せされるものの月給はさほど今と変わらないこと、会社として労働組合員が足りず正規:非正規のバランス調整をしなければならなかったこと、氷河期世代を正社員登用すると国から会社に補助金が出ること、人事課長にはそのノルマを達成する責務があったこと。いろいろなことが分かってきて、まぁ、「私はデキる人間」と手放しで喜ぶのはちょっと違うな、と思ったので淡々と日々を過ごしていこうと思う。やっぱり搾取される世代なのである。

 

というわけで、来年2026年、年明けから約30年ぶりの正社員となることになった。

2025年があって、2026年がある。

あの時があるから、今がある。

未来につながれ。

 

 

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母親卒業旅行。

今週のお題「買ってよかった2025」

 

ひと月ほど前から書店のメインスペースには占い本が並んでいる。

来年の運勢が気になる季節だ。

最近ではショート動画で星座占いやタロット占いなどが流れてきて無料で簡単に見ることができる。それらによると、どうやら私の星座はここ8年間に渡って続いていた不運期から抜け出して来年からは仕事運も金運もとにかく輝かしい未来が幕を開けるとのことである。

確かに、今年半ばごろ我が家の運勢がちょっと上向きなのではないか、と感じるようになった。ほんとにわずかながら貯金ができるようになってきたのである。

幸せな老後には2000万いるだとか到底たどり着けないけど、それならいっそ今をもう少し楽しく過ごしてもいいのではないか、という思いが湧いた。

 

いろいろなことが重なり我が家はしばらく余裕のない時期を過ごした。子供たちの部活や私の仕事や趣味のスケジュールの折り合いもつかず、冠婚葬祭で親戚のもとへ駆けつける以外の「家族旅行」は娘の記憶にないほど遠い昔だ。

それでもなんとかやりくりをして、息子の大学入学と娘の中学入学が重なった時期に節目の家族旅行を考えたのだがコロナ渦のタイミングと重なり流れてしまった。

あれから6年。息子は遠く離れた地で社会人となり、娘は来春大学進学を迎える。二人とも「成人」だ。私たち夫婦も来年銀婚式と迎えることとなった。私個人としても年明けからはそれまでのパートから正社員として働くことになっている。子育てを終え、一社会人として出直す。私の生き方、家族の在り方の大きな節目だと思った。

 

お盆に息子が帰省し家族がそろった場所で旅行の提案をした。こういうことを取り仕切るのはいつも私だ。ダンナはいつも不満こそ言えど、計画を立てたり宿泊予約を取ったりなどということには手を付けない。いつも私だ。でも、それも今回でやめようと思う。全員「大人」なのだから、今後は行きたい場所があるなら自分で手配して行きたい人と行けばいい。

 

今回の旅行は私の「母親卒業旅行」でもあるのだ。

 

今回の旅行の提案をした時ちゃんとそのことを話したつもりなのだが、家族みんなふふんと鼻で笑って流した。それでも私は「これが最後!」とテンション高く家族の日程調整、宿の手配を進め、家族で飛び交う「あれ見たい」「これ食べたい」を集約してスケジュールに盛り込んでいく。我が家は雨男雨女揃いだから、天気予報をにらみつつ天候不良バージョンのスケジュールも考えた。

 

当日は、時間通りに動かない人間たちだということも織り込み済みの時間配分で宿に1時間近く早く着いたため、混雑前の居酒屋に予約なしで入ることができ、数量限定の土地の名物を堪能し、夕食が早く終わった分城下町の商店街をふらふら散歩する時間もできた。初日から完璧である。

その後も、歴史的建造物の見学で建築を学んだ息子の好奇心を刺激し、地元産のお米で白米大好きな娘の腹を満たし、これまでの我慢から解き放たれたかったダンナのいわれるがままにお土産を買いあさり、当初の予報を外して天気まで味方となり、とにかく全員大満足の完璧な旅行だった。

 

私はというと、見たものも食べたものもおみやげもすべて満足なのだが、家族全員が喧嘩することなくふてくされることもなく笑顔で全日程を終えられて楽しかったし、自分の計画がハマったのが何よりうれしかった。またどこかに自分プロデュースで出かけてみたいと思った。

 

「母親卒業」はまだ先になりそうだ。