お題「旅行は…みんなでわいわいVS一人旅 さあ、どっち?…とその理由」
ここ数年、年に一度は一人旅(日帰り含む)をすることにしている。
こう話すと「誰にも頼らず一人で行動できるのはすごい」とか「おいしいもの美しいものの感動を誰かと共有したくならないのか」などと言われるが、これらを苦手とするので一人旅に出るのだ。誰かと行くと頼りきりになりそんな自分が嫌になり、一緒に行った人と感性が同じでないことに凹んでしまう。だから、私と真逆の人には一人旅をおすすめしない。
直近は去年京都を歩いた。京都国立博物館とその近くの三十三間堂。文字通り京都駅から30度を超える初夏の真昼間に1泊分の荷物を担いで歩いた。満員のバスが何台も自分を追い抜いていく。通りかかったバス停にはたくさんの人が待っていて、「次のバスをお待ちください」のアナウンスに肩を落としていた。そんなのを横目にどんどん歩く。
こんな移動方法、誰かと一緒なら決してやらない。
京都国立博物館ではその時日本画家雪舟の企画展があり私の好きな画家若冲の作品も展示されていた。興味ある作品はガラス間近から、時には遠く引いた位置からじっくり眺める。遠くから見るとまた近くで詳細を見たくなる。あまり心惹かれない作品は、一定のスピードで進む人の列を脇の隙間からすり抜けて次の作品へショートカットする。1泊分の荷物を抱えたまま出口までたどり着いた時には2時間が過ぎていた。場所を移動して三十三間堂。こちらも「推し仏像」の前で立ち止まり、そうでないところは素通りし。
こんな見方、誰かと一緒なら決してやらない。
12時過ぎに京都に着いたのだが、時計は3時近くを指していた。「お昼を食べなきゃな」と思った。本当は新幹線乗り継ぎの時ホームで駅弁を買って富士山を見たあたりから食べる予定だったのだが、遅延で出発ギリギリに新幹線に駆けこむことになり空腹のまま京都を歩いていたのである。2時間後には大阪で人と待ち合わせをしていたので、あちこち探し歩いたり、行列に並んでる暇はない。それでもせっかくだから京都らしいものがいいと、地下鉄駅に向かう途中にあった古民家に作られた甘味処でクリームあんみつを食べた。
こんな食事のとり方、誰かと一緒なら決してやらない。
この日京都での滞在時間は3時間半。あわただしいようではあるが、見たかったものはたっぷり見たし、食べたかったものも食べられたので不満は一切ない。見たいと思わないものは見てないし、食べたいと思わなかったものは食べてないのだ。あれから半年以上経つが、誰かと会話をしていない分、雪舟や若冲の作品を見た感動も、三十三間堂の仏像の迫力も、あんみつと一緒に出されたほうじ茶のやさしい香りも、大阪へ向かう電車の中でゆっくり反芻してあとは全部自分の中に閉じ込めたままだ。
ちなみに、大阪で実弟と待ち合わせた後は彼のおごりで串揚げとハイボールをたらふく胃に入れ、互いの最近の話、両親のこと、仕事のこと、3時間近く喋りまくった。
ひとりでいること、誰かといること、バランスが大事である。